先日、タイの義理の母が他界しました。
9年前に義父を亡くしているので、喪主側として参列するタイのお葬式は
これが2回目の体験です。
7日間続く葬儀は、最終日にお寺で火葬するのが一般的ですが、
家族の意向により義母の火葬は1年後となり、それまではお寺に棺を安置することに。
初日の葬儀中にエラワン廟の爆発事件があり、弔問客は一斉に端末に釘付けになっていましたが、
私は他のことに気を向ける余裕がなく、誰かが見せてくれたニュース映像をぼんやり眺めていました。
初日は、夕方から最後のお別れと遺体を棺に入れる儀式、親戚縁者との食事会、
その後は高僧の説法や僧侶の読経、弔問客へ軽食が振る舞われ、
雑務は深夜にまで及びました。
翌日からは、早朝から葬儀の行われているお寺の僧侶へのタンブン(徳を積む行為)や
その準備、葬儀場へ続々と届く供花などの管理、連日大勢訪れる弔問客のもてなしなど、
義母を偲ぶ暇もなく、あっと言う間に7日間が過ぎました。
公立大学の学長だった義母の後輩や教え子達、家業のホテルのスタッフ達など、
沢山の人が手伝ってくれたお陰で、家族の負担も少なく済んだようです。
日本の葬儀屋のようなサービスが無く、親戚縁者や地域の人が助け合い、
沢山の弔問客とそのお悔やみによって経済的な負担もサポートしてもらうので、
タイの社会がお寺と共に、しっかり繋がり支え合っている共同体だということが
はっきり形として現れるのがお葬式だと思います。
経理担当のスタッフは、毎日お悔やみと供花の帳簿を付けていました。次にその人やその家族の
冠婚葬祭がある際には、必ず倍返しにする、というのが家訓なのだそうです。
義母とは直接関わりのない、家族全員の仕事関係や所属グループ、知人友人、小学校まで
遡る同級生なども(今はSNSで一斉に連絡するので、より多くの人に連絡が伝わるようです)
弔問にやって来るのですが、初日に遠方から駆け付ける人もいれば、
一度も顔を見せない人、毎日早くから顔を見せて手伝ってくれる人、
お悔やみの額によっても、色々な感情が交錯するようです。
最近は供花の代わりに、ネームを付けた扇風機を送るのが流行っているらしく、
身も蓋もないかんじがタイだなーと思ったのですが、最終日に処分してしまうお花よりも
お寺や必要な人に寄付出来るし、なるほどしっかり役に立ちます。
祭壇の近くの目立つ場所に、一際上品な供花があるな〜、ネームのフォントも上流っぽいな〜、と思ってよく見たら、なんとプレーム枢密院議長(例えるなら、タイのダースベイダー?イモータン・ジョー?でしょうか......)からのものでした!今後何かあったら、印籠代わりになりそうです(笑)。
子供を持たずに結婚して十数年が経ったので、「子供はまだか」「なぜつくらないのか」「早くしないと手遅れになる」という容赦ない問い(アドバイス?)に、いつもながら辟易としてしまいました。
家人に何か上手い切り返し方は無いか聞いたところ、「” 自分がなぜ生まれてきたのかすら分からないのに、生まれて来る子供にその業を背負わせたくない”とか言うと、大抵のタイ人は二の句が継げないよー」とのこと。
今回の葬儀の為に遠方から来てもらった中には、
学識があり修行も積んだと見受けられる、鋭い風貌に裸足の僧侶もいて、
例の質問をするその僧へ、家人が件の答えを述べたところ、
「それなら出家しなさい!」とピシャリ言われて、がっくり頭を垂れたこともありました。
お寺の敷地内では、猫たちもよく見掛けました。
毎日僧侶の読経の合間に「ギャォーーーン!!!」「ビャーーー!!!」とびっくりするような阿鼻叫喚が葬儀場に響き渡っていたのですが、その叫び声の主は、小さなケージの中に閉じ込められた、タイ猫原種のウィチアンマートと呼ばれる、まだ幼いシャムのメス猫でした。
映画に出てくる「せむし男」といった風貌の、葬儀場の裏に住み込みの雑務係のおじいさんが飼い主で、「犬に噛まれるのが心配なのさ。たまに(ケージから)出してやってるよ。」と言います。私がその猫の美しさを褒めると、いつもは無愛想なおじいさんが、欠けた前歯を出してニヤッと笑いました。
お寺に住む他の猫たちは、堂々と祭壇の真ん中を横切ってのんびり昼寝したり、タンブンの食事をくすねたりして自由気ままにしているのに、その小さなシャム猫は美しさが災いして、ケージに閉じ込め寵愛されているのかと思うと、「お願い、ここから出して!!」という悲痛な叫び声を聞く度に、いたたまれなくなりました。
この囚われのシャム猫姫には、ケージ越しにこっそりおやつをあげて遊んだり、 お寺のかわい子ちゃん達も毎日顔を出してくれたので、気の張ったお葬式期間中も、私の大きな慰めになってくれました。
釈迦の涅槃図には、その入滅を嘆き悲しんで集まってきた鳥獣の中に、なぜか猫だけが描かれていないそうです。その理由には諸説あるようですが、のんびり昼寝でもして出遅れたのかも知れない猫らしいエピソードで、とても気に入っています。
宗教や信仰の対象を持たない私が葬られる時には、周りに誰もいないかも知れませんが、ひょっとしたらその辺をうろつく猫が気まぐれに寄り添ってくれるかもな、と思うとまんざらでもない気持ちになりました。